
単一民族国家に近い国と言われていた日本ですが、今では在留外国人の数が増え続け、多様な民族が共存する社会になりつつあります。近所や職場に外国人がいる状態も珍しくなくなりました。在留外国人は少子高齢化が進む日本に活気をもたらしますが、地域住民と軋轢が生じることもあります。そのひとつがクルド人問題です。
日本に難民申請のためにやってくるクルド人が後を絶ちません。埼玉県川口市や蕨市には3,000人近くのクルド人が集まっていると言われており、近隣住民と間に様々なトラブルが発生しています。なぜクルド人は生まれ育った国を離れ日本にやってきたのでしょうか。日本政府はどのような対策をしているのでしょうか。今回は、クルド人問題についてまとめました。

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クルド人とは
クルド人は「国を持たない最大の民族」とも呼ばれています。トルコ・シリア・イラン・イラクなどに広がるクルディスタン地域に住み、クルド語を話す民族です。しかし方言が強く文字も異なるため、同じクルド語でも通じない地域があります。人口は3,000万人以上と推定されており、その殆どがイスラム教スンニ派の信者です。
クルディスタン地域は、オスマン帝国に支配されていました。第一次世界大戦に敗戦したオスマン帝国は、ヨーロッパなどの連合国とセーブル条約に調印。その条約により広大なオスマン帝国は分割され、連合国の統治とクルディスタンの独立が約束されました。しかしトルコが反発しギリシャと戦い撃退、新たにローザンヌ条約を結ぶことに。ローザンヌ条約ではクルディスタンの独立が無効となっており、クルド人たちは周辺国に分割されてしまいました。中東の民族では第4位の多さを誇るクルド人ですが、分割された国では少数民族の立場となりました。クルド人独立を阻止したい各国政府は、クルド人を迫害・弾圧・差別したのです。

トルコのクルド人

トルコのクルド人は人口の約18%と言われています。トルコ政府はクルド人の存在を認めず「山岳トルコ人」としてクルド語の使用を禁止しました。クルド人は反発し、独立を求めて「クルド人労働者党」を立ち上げ武装闘争を開始。トルコ政府はクルド人労働党をテロ組織と認定し、掃討作戦で対抗しました。
紛争は40年以上続き、約4万人が死亡、100万〜300万人が避難民となりました。ところが2025年5月12日にクルド人労働者党が「武装解除し解散する」と発表。今後の動向が注目されています。
シリアのクルド人

シリアの人口の10%弱がクルド人です。第一次大戦後のフランス委任統治時代、少数民族であるクルド人を優遇する政策が実施されていました。そのためフランスが去った後は多数派のアラブ人から憎悪され、クルド人への差別的政策が横行。市民権をはく奪され、クルド語の使用も禁止されました。
反発したクルド人はシリア・クルディスタン民主党を組織して対抗し、アサド政権や隣国トルコと闘争を展開。侵攻してきた過激派組織IS(イスラミックステート)も撃退し、シリア北東部の実効支配に成功しました。アサド政権が崩壊した現在、情勢は流動的で、クルド人たちがどうなるのか先が読めない状況です。
イランのクルド人

クルド人はイランの総人口の10%弱。1946年、ソ連の支援により「クルディスタン共和国」として自治政府が誕生しましたが、イラン軍の攻撃により1年未満で崩壊。クルド勢力は自治を求めてイラン政府と衝突を繰り返しました。1979年のイラン革命でクルド人勢力は革命派に加わり勝利しましたが、自治を要求したため、味方だった革命防衛隊から武力制圧されてしまいました。
イラン・イラク戦争では、イラクやアメリカなどの支援を受け、イラン政府に対してゲリラ戦を展開。戦争が終結するとイラクとアメリカがクルド人支援を停止したため、イラン政府によるクルド人弾圧に歯止めがかからなくなりました。様々な人権侵害が国際社会から問題視されています。
イラクのクルド人

イラク国民の約20パーセントがクルド人です。イラク領土内のクルディスタン地域にはイラク全体の3割を占める石油埋蔵量があるため、イラク政府はクルディスタン地域の独立を認められません。サダムフセインの時代には、独立を阻止するためにクルド人が弾圧されました。イラク政府は現在、クルド人が完全に独立してしまうのを避けるため、クルド人が住む地域に一定の自治権を与えています。
2017年、イラクのクルド人自治区で住民投票が行われ、93%が独立に賛成。しかしアメリカが情勢悪化を懸念して住民投票に反対し、イラク政府も独立を認めませんでした。近年、イラクの大統領はクルド人から選ぶのが慣例となっています。しかし大統領はあくまで象徴的存在であり、実権は殆どありません。政権はアラブ人から選出される首相が握っています。
クルド人国家の独立を阻むもの
なぜクルド人自分たちの国を持てないのでしょうか。その理由は3つあると考えられています。先ず、クルド人は周辺国に分断されたため、各国でクルド人勢力が分立しており、統一が難しいことが挙げられます。
次に、豊富な資源があることがかえって独立の妨げとなっていること、そして周辺国や欧米に翻弄され独立の夢が果たせないことなどが背景にあるようです。
クルド人勢力の分立
クルド人は周辺国に分割され、少数民族として差別や迫害の対象となりました。クルド語を使うことが許されず、クルドの文化や祭りも禁止に。クルド人たちは権利を求めて各国で組織化し、中央政府の弾圧に対抗しました。しかし締め付けはますます厳しくなり、テロ組織と認定されたり、民族浄化ともいえる攻撃を受けて虐殺されたりと、かなりの数のクルド人が命を落としました。
各国のクルド人勢力は当初、クルディスタンの独立を目標にしていました。しかし時がたつにつれ「クルド人の権利保障」「独立ではなく自治権」などを求める勢力も現れました。組織のビジョンが国や時代によって変化したため統一が困難で、クルド人国家樹立ができない状況にあります。
豊富な資源
オスマン帝国時代には平和に暮らしていたとされるクルド人ですが、クルディスタン地域で石油が発見されてから注目されるようになり、不幸な歴史が始まりました。クルド人が居住しているクルディスタン地域には、石油・天然ガス・鉱物などの資源が豊富に眠っています。
クルド人はこれら資源を独立国家樹立の経済的基盤にしようと考えていますが、クルディスタン地域を所有している周辺国は自国の利益が無くなるため、独立を許すことはできません。豊富な資源があることが、クルド人国家の独立を阻んでいるのです。
周辺国や欧米に翻弄された歴史
クルド人は、周辺国や欧米から独立や自治を餌に利用され、必要なくなると放り出される歴史を繰り返して来ました。大国を信じて前線で戦い勝利を収めても、利用価値が無くなると見捨てられ、弾圧される状態に何度も陥りました。
地域の覇権争いに巻き込まれた結果、クルド人の組織同士で対立しなければならないこともありました。
【事例①】ソ連とクルド人
第二次世界大戦後、ソ連によってクルディスタン共和国が建国されました。しかしクルド人の独立を阻もうとイラン政府が攻め入り、ソ連はイランと和解し撤退。クルド人は孤立無援となり、イラン政府から激しい弾圧を受けました。クルディスタン共和国は消滅し、大統領は処刑されました。
【事例②】イラン・イラク戦争とクルド人
クルディスタンが分割された周辺国は、それぞれ隣国をけん制するためにクルド人を利用しました。自国のクルド人勢力を弾圧し、隣国のクルド人勢力を支援して中央政府と戦わせたのです。例えばイラン・イラク戦争で、イラン政府はイラクにいるクルド人を、イラク政府とアメリカはイランにいるクルド人を支援しました。
両国のクルド人は前線で8年間戦いましたが、両政府が停戦に合意し、それまで利用していたクルド人をいきなり見放したのです。その結果、クルド人はそれぞれの中央政府から敵対勢力と認定され行き場を失い、攻撃と迫害の対象となりました。
【事例③】欧米諸国とクルド人
湾岸戦争やイラク戦争では、中東の過酷な気候や風土に慣れないアメリカ軍や多国籍軍をクルド人が助けました。クルド人は最前線で戦い勝利に貢献しましたが、戦争終結とともに放り出される形に。
後ろ盾を失いますがクルド独立の機運が高まり、その動きに危機感を覚えたイラク政府が武力弾圧を実行。多数のクルド人難民が発生し国際問題となりました。
【事例④】アメリカとクルド人
アメリカは、過激派組織IS(イスラミックステート)との闘いにクルド人を利用しました。アメリカやフランスがクルド人による「シリア民主軍」を支援して前線に送り、過激派組織ISの侵攻阻止に成功。クルド人は勇敢に戦い、女性兵士も活躍し話題となりました。
クルド人はアメリカの後ろ盾を得て、過激派組織ISから奪還したシリア北東部を実効支配することに成功しました。アメリカ軍はシリアに駐留し、平和を守っていましたが、第一次トランプ政権がシリアに駐留していたアメリカ軍の撤退を表明。
その直後、クルド人勢力をテロリストと認定しているトルコ政府が「平和の泉作戦」としてクルド人に対し軍事作戦を開始し、アメリカは黙認する形となりました。多くのクルド人が命を奪われ、避難を余儀なくされたのです。
世界に渡ったクルド人難民

戦いに利用された挙句見捨てられたクルド人たちは迫害され、生き延びたものは難民となりました。ドイツやスウェーデンをはじめ、ヨーロッパには150万人以上のクルド人が生活しています。大きなクルド人コミュニティがいくつもあり、クルド系の国会議員も存在しています。ヨーロッパのクルド人は難民だけではなく、1960年代から労働者不足を補うために受け入れられた者も多数いる状態です。
難民に関する統計では「クルド人難民」の記述はあまり見当たりません。クルド人は分割された周辺国で同化政策の対象となっているため、クルド人として認められていないからです。したがって、クルド人難民は「トルコ難民」「シリア難民」「イラク難民」「イラン難民」としてカウントされています。
国連難民高等弁務官(UNHCR)による2023年の統計によると、シリア難民は世界で最も多い難民のひとつで、640万人に上ります。その中でクルド人が占める割合はとても高いと考えられます。また、クルド人が住むシリア北西部で2023年に大きな地震があり、復興もままならない状態です。中東は今現在も紛争が続いており、クルド人はじめ難民が増加し続けています。

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日本にいるクルド人の現状
2024年の出入国管理局のデータでは、クルド人の在留者は約2,000人で、そのうち正規在留者は約1,300人、難民認定申請中が約700人ということでした。その多くは埼玉県川口市や蕨市などに集まり、解体業などで生計を立てています。
日本に来るクルド人の殆どはトルコ出身と考えられています。トルコと日本はビザ免除の取り決めがあり、トルコ人は観光目的などで90日間ビザ無しで日本に滞在可能です。トルコのパスポートを持っているクルド人はそれを利用し、観光として入国して難民申請を行っているのです。
難民申請の状況
2025年6月現在、日本政府から正式に難民として認定されたクルド人は1名のみ。多数のクルド人が難民申請をしているのに、なぜ認められないのでしょうか。
日本は難民条約に加入しており、難民条約が定める「難民の定義」を厳格に守っています。それは「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々」というもの。この定義に照らし合わせると、日本政府はクルド人を難民と認めることができないのです。
クルド人は確かに迫害を受け、多くの命が犠牲となりました。しかし、日本政府の調査では「今現在トルコではクルド人が迫害を受けている状況に無い」と判断されています。また、紛争から逃れる目的や、経済難民などを日本は認めない方向なのです。しかしながら実際に保護が必要なのではないかという意見もあるため、今後の展開が注視されています。
クルド人が川口市に来るきっかけ
クルド人が日本に来るきっかけは、1980年代、川口の造園業で働いていた不法滞在のイラン人だという話が伝わっています。イラン人の中にクルド人も交じっており、その人物を頼って90年代からクルド人が来日するようになりました。肉親や友人を頼って数多くのクルド人が来日し、コミュニティーもできました。
自国ではクルド人としてのアイデンティティーをはく奪されていましたが、日本ではクルド人として暮らすことが出来ます。ずっと禁止されていたクルド人の祭りも日本なら開催できる、とクルド人から喜びの声が上がっています。
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日本のクルド人問題
一部のクルド人が日本のルールを守らず、問題を起こして川口市などの地域住民と軋轢が生じています。クルド人による犯罪が連日ニュースになり、怖くて川口市に近づけない、という声が上がっているのも事実です。最近では国会議員も問題意識を持ち、トルコのビザなし渡航を取りやめるべきだ、との意見も出はじめました。
身体が大きく逞しいクルド人は、日本人から見ると威圧的に感じます。言葉や文化の壁があり、お互いの真意が伝わらず誤解が生じることもあるでしょう。クルド人の中には川口市や蕨市を避け、違う場所で静かに暮らす者も出てきました。また、出稼ぎ目的や兵役逃れのために来日し、偽装難民となる者もいるため事態を一層複雑にしています。
日本政府の動き
難民認定に厳格な日本政府は、なかなかクルド人難民を認めません。クルド人は日本で難民申請を繰り返し、何年も日本に居続けています。その状況に対応するため、2024年に改正入管難民法が施行されました。
難民申請は2回までで、3回目以降は強制退去処分が下されることに。しかし強制対処処分が厳密に執行されるかどうかは難しい状況です。
トルコ政府の動き
トルコ政府は、川口市に集まるいくつかのクルド人組織を「クルド労働者党を応援するテロ組織支援者」と認定し、トルコ国内の資産を凍結しました。トルコ政府は「クルド人への迫害ではない。トルコから分離独立しようとテロ活動を続けるクルド労働者党の活動が問題なのだ」と述べています。
ところが2025年5月にクルド労働者党がトルコ政府と和解し、武装解除すると発表。クルド人からは、トルコ政府に利用されているだけではないのか、と懸念の声も上がっています。
まとめ
中東の複雑な情勢に翻弄され、大国の意のままに利用されたクルド人。クルド人国家樹立の夢がかなう日は来るのでしょうか。中東の情勢は日々変化しています。2025年6月13日、イスラエルがイランを攻撃しイランも報復しました。クルド人はじめ、多くの難民が出る事態は避けられないかも知れません。クルド人が安心してクルディスタン地域で暮らすことができるよう、世界平和を願うばかりです。
参考資料
外務省:国別政策及び情報ノート トルコ:クルド人
アジア研究所:クルド・ナショナリズム揺籃の地としてのスウェーデン――二つの社会制度と民族性の承認
UNHCR:数字で見る難民情勢2023
UNHCR:難民とは?
外務省:トルコ
NHK:トルコの反政府武装組織解散へ クルド問題は
Newsweek:アメリカに見捨てられたISIS掃討戦の英雄たち
産経新聞:川口のクルド人はなぜ増えたか きっかけはイラン人、民主党政権で難民申請激増
この記事の監修者

大学卒業後、経営コンサルティング会社に入社し、企業の経営支援に携わる。その後、dodaを運営するパーソルキャリアにて、様々な方の転職支援に従事。その経験を活かし、株式会社JINにて、人材事業を開始。